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【東京・沿線ぶらり酒】時代に翻弄された「新宿ゴールデン街」の歴史と文化に酔う噺

【東京・沿線ぶらり酒】時代に翻弄された「新宿ゴールデン街」の歴史と文化に酔う噺

2024,6,14 更新

街を結ぶ沿線には、その地ならではの名酒場と酒文化がある――。本企画では、首都圏沿線の路線ごとに、奥深いカルチャーを探っていきます。ナビゲーターは『古典酒場』の倉嶋紀和子編集長。各沿線に縁のあるゲストとともに、街と酒場の魅力を語り尽くします。

JR中央線の第4回目は、前回に引き続き新宿。新宿駅は1日の平均乗降客数が世界一多いとギネス認定されている巨大ターミナルで、新宿区は大都市の東京で最も飲食店が多い(※)エリアでもあります。それだけに、酒場や飲み屋街の数もあまた。

※令和3年 総務省統計局・経済産業省「経済センサス-活動調査」より

今回は、前回の「新宿西口 思い出横丁(正式名称は新宿西口商店街。通称は思い出横丁)」と並ぶ酒場の聖地「新宿ゴールデン街(通称はゴールデン街)」が舞台。『盛り場で生きる 歓楽街の生存者たち』や『横丁の戦後史 東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』などの著者であり、戦後から高度成長期の繁華街に詳しいフリート横田さんと、この街の今昔について語り合います。
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●倉嶋紀和子(右)/雑誌『古典酒場』の創刊編集長。大衆酒場を日々飲み歩きつつ、「にっぽん酒処めぐり」(CS旅チャンネル)「二軒目どうする?」(テレビ東京)などにも出演。その他にもお酒をテーマにしたさまざまな活動を展開中。俳号「酔女(すいにょ)」は吉田類さんが命名。令和4年(2022年度)「酒サムライ」の称号を叙任
●フリート横田(左)/1979年、東京生まれ茨城育ちの文筆家・路地徘徊家。出版社勤務を経て、タウン誌の編集長、街歩き系ムックや雑誌の企画・編集を多数経験。独立後は編集集団「フリート」の代表を務める。戦後~高度経済成長期の街並み、路地、酒場、古老の昔話を求め徘徊。昭和や酒場にまつわるコラムや連載記事などを雑誌、ウェブメディアなどに寄稿している。

暗黒の昭和平成を乗り越えた“黄金色の花園”

今回もまずは街の成り立ちから解説。ゴールデン街の歴史を紐解いていきましょう。

ゴールデン街は住所でいえば歌舞伎町一丁目。ただし、ゴールデン街があるのはいわゆる歌舞伎町の中心街ではなく、東方の新宿区役所と花園神社に挟まれた約6500平方メートルのエリアにあります。
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上空から見たゴールデン街。現在は約300もの飲食店が軒を連ねています(写真提供:PIXTA)
終戦直後の1945(昭和20)年8月20日。まだ焼け野原だった新宿駅の東側、現在の新宿通りの一部に戦後闇市の端緒とされる「新宿マーケット」が開かれます。同年12月にはその南側に「和田マーケット」が誕生。その後、中間地に野原組がマーケットを開きます。

闇市の一部は飲み屋街になるなど発展しますが、行政の都市計画にとっては目障りな存在に。1949(昭和24)年の8月には、連合国軍総司令部(GHQ)が都内公道上からの露店撤廃を指示し(露店整理事業)、東京都庁と警視庁は各店舗に対して翌年3月末までの退去を命じます。

しかし、建物をなくしたとしてもそこには商売人とその家族など、生活の拠り所とする人々がたくさんいました。そこで都は代替地のひとつとして、新宿区三光町(現在の歌舞伎町一丁目と新宿五丁目の一部)の一帯への移転をあっせん。こうして生まれた商店街が、のちに「新宿ゴールデン街」と呼ばれるようになります。
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1974年ごろの新宿ゴールデン街(新宿区歴史博物館蔵)
なお、東口の闇市を追われた人々のほか、ここに集まってきたグループがもうひとつあります。それは、古くからの遊郭である新宿二丁目の赤線(政府が半ば公認していた風俗街)地域で露天商を営んでいた人々。彼らも移転命令により、行き場を失っていたのでした。

当時の三光町は開発がなかなか進まないススキ野原。人通りの少ないこの場所で、新天地の人々が生活のために始めた商売は、政府非公認の売春(青線)でした。表向きは飲食店として営業しながら、秘密裏に建物の3階で行為に及ぶケースが多かったといいます。ただし、こうした店舗も1958(昭和33)年の売春防止法施行によって消えていきます。

1960~70年代になると、文壇バーを中心に作家やジャーナリスト、編集者、映画関係者などが夜な夜な集う文化人の街として栄えました。常連の作家が芥川賞・直木賞を受賞したほか、花園神社を発信地とするアングラ演劇ブームなども影響し、この街が広く知られるようになります。
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1974年ごろの新宿ゴールデン街(新宿区歴史博物館蔵)
しかし、1980年代を迎えバブル期になると、すでに一等地だったこの街でも地上げ騒動が勃発。法外なお金を積まれて出て行った店主も多く、空き家も目立ち始めました。そこで1986(昭和61)年に結成されたのが、有志による「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」です。

「守ろう会」は弁護士を雇い、地上げ反対の署名運動を展開。餅つき大会や振る舞い酒イベントなどを路地で行って話題を作り、街の現状を発信しました。この取り組みには文化人が賛同してメディアにも取り上げられ、やがてバブル崩壊とともに地上げの動きも止まったのです。

1992(平成4)年に改正された新借地借家法により、大家が物件を貸すハードルが下がったことで、やる気にあふれた若い世代が集まり街は活性化していきました。ところが2007年、今度は地主の組合が大手ゼネコンと組んで再開発協議会を発足。ゴールデン街を含む靖国通り沿いのビルも一体的に開発し、高層ビルを建てる計画が進められていました。そこで再び「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」は一丸となり、要望書を区に提出。開発の波を退けることに成功したのです。
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ゴールデン街は、南側の「新宿ゴールデン街商店街」、北側の「新宿三光商店街」と組合がわかれており、対立するような関係でしたが、次第に融和が進み2020年には「新宿ゴールデン街」に統一されました
近年はグローバル化によりインバウンド客も多く訪れる観光スポットとなり、日本で最も“ゴールデン”な街に。お店の業態も多様化し、すっかり開かれた酒場通りとなったこの街は、これからも黄金色の光を放ち続けていくでしょう。

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色街とならざるを得なかったアナザーストーリー

倉嶋 来ましたねー、ゴールデン街!

横田 やっぱり独特ですよね。色っぽい昭和の残り香をいまだに感じさせるお店もあって。

倉嶋 今日のバー「十月」も、開業自体はそこまで昔じゃないですけど、昭和生まれの私にとってはすごくホッとする空間です。

横田 まずは乾杯しましょうか。ここはやはり、ゴールデンなお酒で!

倉嶋 宝焼酎「ゴールデン」! 最高ですね~。

二人 では、カンパーイ!
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倉嶋 横田さんはゴールデン街についても、様々な生き字引の方々にお話を聞いてきたと思います。そのうえで、ここはどういう街なんでしょうか?

横田 大都会・新宿。ましてや歌舞伎町という、ある種“伏魔殿”のようなエリアの外れにあって、時代に翻弄され続けてきた街ですよね。

倉嶋 前回の思い出横丁もスゴい歴史がありますけど、成り立ちからして違いがありますもんね。

横田 どちらも戦後の焼け野原に誕生した闇市が始まりですが、ゴールデン街のルーツは思い出横丁とは駅の逆側。東側なんです。
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倉嶋 いまよりもっと駅前にあったと聞きます。

横田 しかし戦災復興での区画整理で駅前一帯からの退去を強いられ、そこであてがわれた土地がこの場所です。

倉嶋 なるほど、戦後の浄化作戦ですか。

横田 でも西側は私鉄や地下鉄の施設が計画されており、戦前から駅前に広場ができていました。なので、闇市の整理は東側より10年近くあと。その間、思い出横丁の場所は各店主が組合を作って地主から土地を買い取っていたので開発を免れ、だから奇跡的に残ったんです。

倉嶋 前回のお話にもつながりますね。

横田 一方、東側のマーケットで営んでいた人々はこちらに来たものの、駅から遠くて人通りも少ないと。

倉嶋 いまみたいに、いろんなお店があちこちに広がっているわけじゃないですもんね。

横田 近くに都電は走ってたんですけどね。その名残が「四季の路」で。

倉嶋 あ、ゴールデン街入口の脇を通ってる遊歩道が跡地の。
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四季の路(写真提供:PIXTA)
横田 もっとも、その路線は1948(昭和23)年に靖国通りから明治通りに左折するルートに軌道変更されてますし、結局この辺は殺風景だったと思いますけど。

倉嶋 だからこそ、普通の商売では成り立たないから、色街になっていったと。

横田 その背景にはもうひとつポイントがあって、それが新宿二丁目の遊郭周辺にあった露店商のグループです。

倉嶋 ゴールデン街が南北でわかれていたルーツですよね。二丁目の方々が南側に移り住んだとか。

横田 ええ。遊郭周辺の露天商は南側に「花園街」と称し、元々ノウハウがあった風俗営業をはじめたんです。ある程度は以前の常連客も付いていたでしょうし。一方で駅前露天商グループの多くは飲み屋でしたから、「三光町」と呼ばれる北側の一角に、おでん屋などを始めました。でも駅前とは勝手が違うので成り立たなかったと。
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倉嶋 そこで南側のマネをしたんですね。

横田 あとは、北側の空いた物件を南側の店舗が買収した、みたいなケースもあったようですよ。ちなみに、南北で建物の設計が違うという話を聞いたことありません?

倉嶋 階数と、坪数のことですよね。話はもちろん、3階を見せてもらったこともあります!

横田 最初から青線商売を想定していた南側の「花園街」は、4.5坪の広さに3階建てのバラックを建て、こっそり3階で営業。北側「三光町」のほうは後から始めたので、3階部分は建て増しで広さも3.5坪という。
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「十月」へと続く階段。ゴールデン街の店舗は、ほぼ同じ間取りとなっている
倉嶋 いまもこの設えって維持されてますよね。なんとも貴重です。

やがて文化人が夜な夜な集う密やかな盛り場へ

横田 でもやがて、青線営業は1958(昭和33)年の売春防止法施行によって廃業。こうした流れもあって大人の店というか、バーやスナックみたいな業態が増えていったんです。ぼったくりやゲイバーも多かったようですけど。

倉嶋 ゲイバーといえば、新宿二丁目とゴールデン街とでは成り立ちが違うんですか?

横田 変遷は似てます。でも二丁目にあった赤線の空き店舗は別業態の風俗になったり、連れ込み旅館になったりもして。それらと並行して徐々にゲイバーも増えていったんです。

倉嶋 二丁目の歴史にも詳しいとは、さすが! では、ゴールデン街に文壇バーが増えたのはなぜなんですか?
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横田 もともと新宿には、戦後すぐにできた風月堂という伝説の名曲喫茶があり、ここは文化人が集まるサロンのような場所でした。また、文化の発信地として有名な紀伊國屋書店の本店があり、「紀伊國屋ビルディング」は1964(昭和39)年に開業します。

倉嶋 紀伊國屋書店のビルには劇場や飲食店もあって、多目的な書店の先駆けかもしれません。

横田 劇場といえば、花園神社の紅(あか)テントも有名ですね。アヴァンギャルドなアングラ演劇を象徴する移動劇場ですが、そのはじまりは1967(昭和42)年。こうした流れで、映画、演劇、音楽、文壇など、各業界の文化人が夜な夜な集まる場所として、ゴールデン街はうってつけだったんだと思います。

倉嶋 それら文化人の方々って、知的なのはもちろん、前衛的でサブカルチャーの匂いを感じさせますよね。その点でも、当時は近寄りがたかったゴールデン街がちょうどよかったとも思います。

横田 新宿三丁目駅周辺にも文化人に愛される老舗がありますけど、多くは店内が広めの居酒屋じゃないですか。この対比も面白いですよね。
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倉嶋 確かに! 例えば「どん底」は1951(昭和26)年創業ですし、「鼎(かなえ)」は1972(昭和47)年創業。「どん底」の卒業生が1978(昭和53)年に開業した「池林房(ちりんぼう)」も有名ですけど、三丁目で食べたり飲んだりしたラストはゴールデン街でしっぽり、なんてハシゴもよくあったのかも。

ゴールデン街にまつわる“ボクらの時代”

横田 そういえば、倉嶋さんが初めてゴールデン街で飲んだのはいつごろですか?

倉嶋 私はかなり遅くて2007年です。『古典酒場』を創刊するということで、やはりゴールデン街は取り上げたくて。でも足を踏み入れたことがなかったので、当時会社にいたゴールデン街通の先輩にお願いして、一緒に3~4軒馴染みのお店を飲み歩かせてもらったのが最初です。

横田 そのときのお店って覚えてらっしゃいます?

倉嶋 「美沙」から飲み始めたのかな。御年92歳になられる女将さんがやってらっしゃって、そのあと老舗のお店を回らせてもらい楽しかったですね。
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横田 そこから通うようになったんですね。

倉嶋 いえ、通うというほどは行かなかったんです。そのときのお店は先輩の城みたいなものなので、私は私で見つけようと。そのあと外波山文明(※)さんと親しくなり、たまに「クラクラ」には出入りさせていただくようになりました。3階を見せていただいたのも「クラクラ」です。

※外波山文明(とばやまぶんめい)。劇団「椿組」を主宰し、役者やプロデューサーとして活動するほか新宿ゴールデン街の「クラクラ」を経営し、新宿ゴールデン街商業組合の理事長も務めている

横田 僕も外波山さんには取材でもすごくお世話になりました。

倉嶋 横田さんはいつごろからゴールデン街に?

横田 僕は2005年前後ですね。友だちと「行ってみようぜ」って。最初は、去年閉店してしまった「シラムレン」という老舗です。アルバート・アイラーなどのフリージャズを爆音でかけたり、かと思いきや美空ひばりさんのジャズ曲を流してくれたり。
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倉嶋 ゴールデン街の小さな空間で爆音のジャズ! いいですね~。

横田 それが朝までずっと続くんですよ。当時20代前半だったんですけど、「これがゴールデン街か!」ってカルチャーショックでしたね。あとは「FLAPPER」という、日替わりママさんの店にもよく行ってました。ここも前知識なしで、たまたま入ったお店です。

倉嶋 うらやましい! そこはどんな特徴なんですか?

横田 仲良かったママさんは辞めちゃったんですけど、昔堅気の濃厚なパッションを持ってる方でした。

倉嶋 いい出会いだな~。
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横田 でも倉嶋さんも、最初にここに来たのは2000年代の中~後半じゃないですか。いまと結構違いましたよね?

倉嶋 ええ。若い方や外国人はほぼおらず、もっと静かでひっそりとした雰囲気だった記憶があります。
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横田 ですよね。いまみたいに情報が出回ってないってのもありましたし、勇気が要りました。「こんな若輩者が行ってもいいのかな?」って。

倉嶋 確かに。私は当時30代前半でしたけど、「まだ早いかな」って思ってました。あの、どこか遠慮してしまう世界観は何だったんですかね?

横田 やっぱり、当時はまだまだ文壇バーのイメージが強かったからかなと思います。文化人が語るような高尚な作品論や、サブカルチャーの知識などがないとダメなんじゃないか、とか。

倉嶋 わかります。もし話題を振られたときに、返せなかったらどうしよう、みたいな怖さですよね。

横田 そうそう、メジャーな映画ばっかり観ている場合じゃないよなとか。それで人としての深さを量られているような印象を勝手に妄想して。でもそういうのって、思い出横丁とか下町にはないじゃないですか。

倉嶋 それぞれの良さがありますよね。ゴールデン街にたゆたう、昭和の文壇バー的な匂いは独自の魅力でもありますから。

横田 全然否定するものではないですけどね。
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倉嶋 とはいえ、昭和の残り香が薄くなっているのも事実でしょう。この移り変わりに潮目ってあったんでしょうか?

横田 個人的に印象的だったのは2019年。ラグビーワールドカップの日本開催時ですね。欧米の方を中心にたくさんの外国人が遊びに来ていて、「ゴールデン街も変わったなぁ」って感じた記憶があります。

倉嶋 2019年はコロナ前ですけど、すでにインバウンドが盛り上がってましたからね。

横田 ただ、トラブルもあったみたいなんですよ。ハウスルールが理解できてなかったり、外で騒いじゃったり、吸っちゃいけない場所でタバコ吸ったり。でも、それだけ風通しがよくなったってことなんでしょうね。

倉嶋 そういえば、一部のメニューを貼り出したり、「foreigners(外国人)OK」と書いた看板を掲げたり、英語のホームページを作ったりするお店も増えましたよね。

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さっそく焼酎のボトルをキープ! “類は友を呼ぶ”バー「十月」

横田 このバー「十月」は、来年で20周年とか。

ママ はい、2005年の7月のオープンなんです。

倉嶋 店名の由来とは関係ないんですね。

ママ 由来は、私の誕生月なんです。あと、ロシアの十月革命にもちなんでね。
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ママのくぼたかずこさん
横田 オープンしたいきさつは、知り合いの紹介ですよね。もともとはお客さんとしてゴールデン街に来ていたんですか?

ママ 最初は、知り合いがゴールデン街で始めたお店に飲みに行ったのがきっかけです。私は会社勤めだったんだけど早期退職して。そんなある日、そこの常連さんから「うちの店を手伝ってほしい」ってお願いされてね。このお店はまた別のベテランの方からの紹介なんだけど、「ちょっとやってみようかな」って。そしたら20年近く経っちゃったの。

倉嶋 ママの人柄やセンスですよ! お店はギャラリーにもなってるし、やっぱり文化人の方もいらっしゃるんですか?
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内装は引き継いだときのまま。昭和の歴史を感じる
ママ 一般の会社員さんもたくさんいらっしゃいますけど、映画監督に小説家や編集者、広告マンや大学教授もお見えになられますね。私、実は歌集(『とんとん月を抱いて帰ろう』)を出してるんですけど、装丁はその有名な広告マンの方が担当してくれました。

横田 ゴールデン街らしいエピソードですね。僕も、ここじゃなければ生まれなかったであろう出会いの話をたくさん聞いてきました。

倉嶋 「類は友を呼ぶ」ってやつですね。それこそ私も、今度あらためて類さん(吉田類さん)と一緒に来たいです!

横田 それはゴールデンコース決定ですね!


前回は思い出横丁、今回はゴールデン街と、新宿の二大飲み屋街について語り合った倉嶋さんとフリート横田さん。次回はまた別の沿線に舞台を移し、街と名酒場を深掘りします。お楽しみに!


撮影/鈴木謙介

<取材協力>
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十月
住所:東京都新宿区歌舞伎町1-1-10 新宿ゴールデン街 G2通り
営業時間:17:00~23:00
定休日:水曜・日曜・祭日

記事に登場した商品の紹介はこちら▼
・宝焼酎「ゴールデン」
https://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/golden/

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