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酒場のシンボル赤提灯(ちょうちん)!提灯のルーツとこだわりの作りの技を知る噺

酒場のシンボル赤提灯(ちょうちん)!提灯のルーツとこだわりの作りの技を知る噺

2023,2,10 更新

黄昏時になり、街の飲食店街が俄かに活気づくと店先で明るく光り始める赤提灯。
どこかノスタルジックで魅惑的なあの灯りですが、そもそも居酒屋にはなぜ赤提灯が吊るされているのかご存じですか。今回、酒噺スタッフが向かったのは京都市東部の山科(やましな)区。享保年間※から続く、提灯の老舗「髙橋提燈(ちょうちん)株式会社」にお伺いし、赤提灯をはじめとした提灯の歴史と、職人技を必要とする作り方を教えてもらいました。


※江戸時代の1716年から1736年までの期間で中御門(なかみかど)天皇、桜町(さくらまち)天皇の代の元号

東京・浅草の浅草寺にある雷門の巨大な赤提灯を手掛ける老舗

今回訪問した「髙橋提燈株式会社」は、今では全国的にも希少な提灯作りの全工程を自社で行うメーカー。本社は京都市中心部の下京区柳馬場綾小路(やなぎのばんばあやのこうじ)にあり、今回私たちが訪れたのは工場のある、京都市山科区観修寺(かんしゅうじ)。
提灯をつくるための竹材が堆く積まれた工場の奥で、私たちを迎えてくださったのは丸山弥生さんです。
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「髙橋提燈」の創業は享保15(1730)年。当時は扇子問屋であり、当時のタウンガイドである「買物独案内(かいものひとりあんない)」にも載っていたほど評判のお店だったそうです。扇子と同じく和紙や竹を使用する関係からか、やがて提灯作りをはじめ江戸末期ごろに提灯専門の店となっていたそう。
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「買物独案内(かいものひとりあんない)」。当時はかね吉という屋号で扇子問屋として掲載。
社寺仏閣が多い京都の町には今でも提灯を扱うメーカーは多いものの、「髙橋提燈」の魅力はそのスケール。兼ねてから社殿などに吊るす大きな提灯を作っていたことがきっかけで昭和46年からは、あの東京・浅草の浅草寺雷門の大提灯の制作を任せられるようになりました。
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(提供:髙橋提燈株式会社)
「雷門の提灯を作製するときは、工房の1階から3階を吹き抜けにしてそこに、提灯を吊るして作業します。壮観ですよ。」と丸山さんは笑います。

そもそも提灯ってどういうもの?

居酒屋の赤提灯についてお話を伺う前に、まずはそもそも提灯とはどのような道具なのかを丸山さんに伺いました。
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資料所蔵:国際日本文化研究センター
「都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)」。提灯を持つ人の姿や提灯が店先にぶら下げられている様子が描かれている。
「まずは、提灯の歴史からお話ししましょうか」と丸山さん。
「提灯が中国から日本に伝来したのは室町時代ごろと言われています。当時は竹で編んだ籠を灯りにかぶせて手に下げて持つというスタイルで、現在のように折り畳んで持ち運べるものではなかったようです。そのうち戦国時代になると、武将らが戦などで夜行することが多くなり、これに伴って携帯性を求められ、今のような折りたためるジャバラ式提灯が開発されました。さらに江戸時代になると、大戦がなくなり治安も向上したことから、町人などが夜中に街を出歩くという風習も生まれ、提灯は市井に大きく広がりました」

「江戸後期に出版された“都林泉名勝図会”という資料には当時の京都河原町から鴨川にかけての風景が描かれていますが、この中でも町人が手に提灯を下げて橋を渡っている姿や、茶店の軒先に丸い提灯が下がっている姿が見られます。治安が良くなり夜の街が安全になったことで、文字や図案を描いた今で言う“広告”としての提灯もこの頃生まれたのだと思われます。それ以来提灯は大きく形を変えずに現代まで使用されています。昔は電気がありませんでしたから、提灯は夜の街の唯一の灯りであり懐中電灯としての役割でもありました。そんなことから町には、今で言うコンビニエンスストアのように多くの提灯屋があったそうですよ」。

居酒屋のシンボルが赤提灯なのはなぜ?

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私たちにとって最も身近な提灯といえば、「居酒屋の赤提灯」ですが、実際には提灯にはさまざま色や模様が存在します。基本的に、提灯は竹で作った骨組みに、和紙を張って作るものですから、基本の色は白のはずです。では、なぜ居酒屋は赤提灯なのでしょうか。

「私たちも確かなルーツを知っているわけではありません。ただし、前回浅草寺に雷門の提灯を納めさせていただいた時に、貫首様が“これでやっと観音様に灯りを捧げることができた”とおっしゃったんです。実は雷門の提灯の中には灯明(神前や仏前に献じる灯火)やライトを入れることはありません。それでも灯りを捧げるのですから、この赤は灯明が灯って提灯が輝いている様を表現しているのだと感じました。火はもともと神聖なもの。また暮らしに欠かせず、上手に使うことで生活を幸せにしてくれるものでもあります。そうした思いが、赤い提灯にはあるんじゃないかと思います。居酒屋などの飲食店で使用されるのも、こうした明るいイメージをお客様に印象づけるというのが一つの理由だと思われます。なにより、赤という色は非常に目につきやすいため、お店の広告としても最適。さらに、赤提灯は白い提灯を手作業で赤く塗ってつくるため、顔料や工賃がかかる分高価です。そのため、店のしつらいにお金をかけられる質の良い店であるということをアピールする目的もあったのかもしれませんね。ただし、赤提灯が居酒屋のシンボルとなってきたのは、おそらく昭和の第二次世界大戦以降ではないかと思います」(丸山さん)

調べてみると、赤提灯が本格的に広がりはじめたのは、高度経済成長期にあたる昭和40年ごろの新宿駅西口、闇市にルーツを持つ「思い出横丁」周辺であったと言われています。まだそれほど人々が裕福でなかった当時、大々的な看板よりもずっとリーズナブルで、商売が終われば畳んでしまうことができ、何より夜でもアピール抜群にお店の存在を知らせてくれた赤提灯はうってつけの広告となったことでしょう。
従来、神社などで赤提灯は魔除けの象徴として使われてきました。赤提灯がまだ戦後の暗闇を引きずっていた人々の心に、美味しい酒肴の思い出と共に暖かな光を灯してくれたことが、赤提灯=居酒屋のイメージとなったのかもしれませんね。
この他にも居酒屋での赤提灯のルーツにはいくつかの説があるようで、「赤が食欲をそそる色だから」や「単に目立つ色だから」、面白いものでは「赤い酔っ払いの顔を隠すため」といったものもあるそうです。

江戸時代から変わらず受け継がれる提灯作りの技

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お話を伺いながら、提灯の工房内も見学させていただきました。工房内では社長の川崎正彦さんから説明がありました。
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骨作り

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提灯作りは、竹で骨組を作るところから。割竹を削りながら、適切な細さへと整形していきます。この日作っていたのは直径2mを超える大提灯に使用するもの。何本もの竹を繋ぎ合わせて、骨を作っていきます。

骨掛け・糸かけ・紙張り

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続いては、提灯をかたどった木枠に沿わせるように骨を巻き、提灯の型を作っていきます。
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さらに巻いた骨がずれて提灯の方が崩れないよう、糸を巻き付けていきます。
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提灯の形が決まったら、その上に和紙を張っていきます。この和紙も江戸時代から変わらない、楮(コウゾ)の繊維を使った、手漉(す)き和紙。繊維が撚り合わされ、素手ではなかなか裂けないほどの強度を持っています。この和紙の強さが、長期間使用できる提灯の強さを生み出します。和紙に霧吹きで水をかけ、糊を塗った骨に沿わせて張っていくとおなじみの提灯の姿が出来上がります。

絵付・文字書き

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型に和紙を張り、乾燥させたらいよいよ、お店や社寺仏閣の個性を表現する文字や絵をつけていきます。赤提灯の場合は、この段階で白い提灯を赤く塗り上げていきます。これも手作業です。
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提灯の中に支えとなる棒を差し込んでハリを保ち書き込んでいくのですが、この時の絵や文字は全て職人による手書き。下絵や参考となる図案、お客様から提供された過去に使用されていた提灯の現物などはあるものの、骨による凹凸や和紙のたわみ、書体の違いなどを考慮しながら全て手作業で書き上げていくのは、生半可ではない技術が必要になります。

さらにこの時の絵付は、ただ上手に文字や絵を書けば良いと言うものではなく、提灯を下から見上げた場合に文字や絵がバランスよく見えるように、上部と下部で大きさを変えながら書いていくと言うのですから、まさに職人芸といえます。

道具仕上げ・油引き

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図案や文字が書き上がったら再乾燥させて、「道具」と呼ばれる木枠や装飾金具を取り付けて提灯は完成。屋外で使用するものには、表面に油を塗って防水効果を持たせます。
これら一連の作業は基本的に、提灯の形が確立した江戸後期と同じもの。提灯は、それだけ無駄なく完成した道具なのです。

約300年続く提灯作りのこだわりは「実用品であること」

「提灯というとみなさん『伝統工芸』のように捉えられることが多いんですが、提灯というものはあくまで“実用品“なんです」と川崎さん。
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「和紙と竹という軽量な素材で作り、折りたためるという携帯性に優れている提灯の魅力は、やはり使うからこそ発揮されるものです。防水性の高い油を塗った提灯も、1年ほどでやはり色が変わってきます。今では、懐中電灯や電気を使った数々の照明がありますし、提灯自体もプラスチックやワイヤーを使用したものも多くなってきていますが、やはり昔ながらの竹と和紙の提灯の風情と言うのは捨て難いですね」。

丸山さんもこれに加えて「当社に提灯作りをご依頼いただいている東京の居酒屋さんは、提灯が傷んでくると常連さんが、“次は自分が贈る”と進んで店に寄贈されるそうなんです。提灯が単なる店のシンボルから、人と人とをつなげるものとなっているんですよね。それ以外にも、提灯は一つの指標と言えるかもしれません。実用品である提灯は、定期的な交換が必要。年末は私たちの繁忙期になりますが、これは多くの飲食店様が年初めに提灯を新しいものに交換するから。やはり破れていたり、埃や油をかぶった提灯では格好がつかないからなんでしょうかね。ただ、こうした店のシンボルとして提灯を大切に使い、時期に応じて新調される飲食店様は、お料理やお酒への気配りも期待できるのではないでしょうか。私たちは、提灯の作り手ですが、その提灯が、お店やお客様の間を紡いでくれるものだと思うと嬉しいですね」と話してくださいました。
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柔らかい光の赤提灯は、見かけたらどこかほっと心が和み、足も自然とそちらに向いていくもの。皆さんも、今夜はふらりと街へ出掛けて、赤提灯を探してみませんか?
ちなみに「髙橋提燈」では、Webサイトから個人や企業問わず、提灯の製作依頼ができますので、贈り物とするのも良し、自分だけの一張りをあつらえて、お家居酒屋を開店するも良し、オリジナルの提灯で自分だけの楽しみ方を見つけてみてはいかがでしょうか?




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〈取材協力〉
髙橋提燈株式会社

本社
〒600-8052
京都市下京区柳馬場綾小路下る塩屋町44
TEL:075-351-1768(代)
FAX:075-351-6607

Webサイト:https://chochin.jp/

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