酒噺 ~もっとお酒が楽しくなる情報サイト~

日本食文化の礎を築いた“山蔭神社”の噺

日本食文化の礎を築いた“山蔭神社”の噺

お酒に合う食事に出会えたらいつものお酒が何倍も美味しく感じますよね。豊穣の秋である11月は日本食にとって大事な月とされ、11月24日は“和食の日”、11月30日は“本みりんの日”に制定されています。繊細な味付けや美しい盛り付けから、世界からも愛されている独自の日本食文化。その文化を作り出し、多くの料飲関係者から崇敬を集めている「料理の神様」が京都にお祀りされていることをご存知ですか? 「料理の神様」はどのようにして生まれたのか。今回は、日本で初めてあらゆる食物を調味付けたとされる「料理の神様」をお祀りする“山蔭神社(やまかげじんじゃ)”の噺。

“平安京の守護神”吉田神社と山蔭神社の関係

【吉田神社内にある斎場所大元宮。全国の神々をお祀りしているので一度に日本の神々をお参り出来ると云われる。】


京都御所の東側、京都大学のすぐ隣にそびえる標高100メートル程のなだらかな吉田山。
この山中にある吉田神社内に山蔭神社は御鎮座されています。



吉田神社は、西暦859年に平安京の守護神として、【藤原山蔭(ふじわらの・やまかげ)卿】によって吉田山に創建された神社であり、当時、最も勢力を伸ばしていた藤原家にゆかりのある奈良の春日大社から御魂(みたま)を分けてもらい創建されました。



重要文化財でもある【斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)】という全国の神々が集うという社もあり、日本の神道には欠かせない歴史を持つ神社です。

【境内にはご神使の鹿の銅像があります。以前は、この場所で奈良公園から譲り受けた鹿を実際に飼っていたそう。】


実はこの吉田神社を創建された【藤原山蔭卿】こそが、美しい日本料理の礎を築いた“料理の神様”であり、山蔭神社の御祭神として祀られている方。
吉田神社に20歳からお勤めになられている神職の箕西孝誠(みのにし・こうせい)さんにお話を伺いました。

日本で初めて調味付けを行った“料理の神様”とは?

山蔭神社は1957年(昭和32年)、吉田神社の“御鎮座1100年大祭”の機運に合わせて創建。



「京料理」という料理の文化がある京都に、“料理の神様”をお招きしたいという全国の料理飲食関係者の強い想いの元に建立された神社です。
“料理飲食の神様としてふさわしい方、そして吉田神社のご創建に所縁のある方”として藤原山蔭卿が選ばれました。


【山蔭神社境内の周りには、京都界隈の飲食店の名前が刻まれた玉垣がずらりと。】



「その当時、料理をすることが貴族の嗜みであり、貴族の中でも藤原山蔭卿は、非常に料理技術に長けた方でいらっしゃったと言われています。庖丁(現在でいう料理)に関する式(様々な手順を記録にすること)、つまり今でいうマニュアルや手順、教科書のようなものを当時の光孝天皇の指示で庖丁式として作られた方です。また山蔭卿は、日本で初めて“調理と味付け、美しい盛り付け”をされた方と云われています。」(箕西さん)



平安時代の貴族の調味料は、塩・酢・酒・ひしお(醤油の元)の四種(しす)とされ、山蔭卿は貴重な調味料を使った味付けや調理などの庖丁の手順を新たに編み出しました。



山蔭卿が編み出した【四条流庖丁式】には、“刺身に添えるわさびと塩は接して並べる、酢も添えるべき……”といった、現代にも通じる繊細な調味や盛り付けの記述も残っているそうです。



当時の庖丁とは、弓術や蹴鞠といった階級の高い貴族たちの嗜みの一つであり、また庖丁に長けた人は魅力的でモテる要素の一つでもあったそう。貴族たちがこぞって料理の腕を磨いていたことを想像するとなんだか微笑ましいですね。

平安貴族の料理儀式“山蔭神社の例祭”とは?



「山蔭卿は“庖丁式”を整え、それを元に儀式を行い供されたとお聞きしております。神様だけでなく貴族や尊い方に対して、最良のルールを考えて書物として残されたのが山蔭卿だと云われています。 当然、山蔭卿自身の庖丁の腕前も大層良かったそうです。」(箕西さん)



庖丁式とは、【鳥帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ:前合わせの上着と袴着用)または狩衣(かりぎぬ:簡易的な羽織に袴着用)を身にまとい、大きなまな板の前に座り、一切素手で食材に触れずに庖丁と真魚箸(まなばし:長い菜箸のようなもの)だけで、鯉や鳥などをさばいていく儀式】とされています。



「人として生活をしていると、様々な罪や穢れ(けがれ)があります。“お召し上がりいただくものに穢れを触れさせない”という意味合いで、長い菜箸を使いながら庖丁でさばき、神様または尊い方へお供えをするという方法を山蔭卿が生み出された。それが形式や装飾を踏まえて、さまざまな流派によって変革されていきました。」(箕西さん)

【山蔭神社例祭で奉納される生間流庖丁式の様子。写真提供:吉田神社】


毎年5月8日で行われる“山蔭神社例祭”では、料理飲食業界の繁栄を祈願して【生間(いかま)流庖丁式】が奉納されます。



山蔭卿が編み出した【四条流庖丁式】から派生した流派である生間流は、現存する京都の料亭「萬亀楼(まんかめろう)」が1100年に渡り継承しています。



平安時代には宮中内でしか執り行われることのなかったという貴重な【生間流庖丁式】。手を使わない難しさを全く感じさせない、踊りのように滑らかに執り行われる美しい伝統芸能です。

深い信仰心から生まれた“山蔭神社と菓祖神社”

山蔭神社が創建された機運のタイミングとなった“吉田神社御鎮座1100年大祭”。実は、時を同じくして吉田神社内に【菓祖(かそ)神社】もご創建されています。



菓祖神社は“菓子の神様”として菓子業界の方々から崇敬されている神社。日本で初めて果物を持ち帰りになられた神様【田道間守命(たぢまもりのみこと)】と日本で初めて饅頭の元を作られた神様【林浄因命(りんじょういんのみこと)】の二神をお祀りしています。


「京都で“全国菓子博覧会”というのが昭和33年に行われました。その際に、“京菓子”という一つのブランドになっているぐらいお菓子に力を入れている地域ですので、京都でもお菓子の神様をお祀りしたいという機運が高まりました菓子業界の方々の強い想いと、吉田神社1100年大祭という機運が合致して吉田神社の境内にご創建させていただくことになったようでございます。」(箕西さん)

和歌山・兵庫・奈良県と二神をお祀りしている3社にお御魂を分けてもらいに足を運んだのは、ご創建を願っていた京都を中心とした菓子業界の方々。


「神職姿の白衣や装束を着て、お御魂を担いで来られたそうです。」と、箕西さん。神職に任せず、自分たちでお御魂をお迎えにいくというエピソードは、神社の創建が強く熱望されていたことを感じます。

【境内にある山蔭神社の御創建に全力で協力をされた全国料理飲食組合の石碑。】


吉田神社御鎮座1100年大祭の機運によってご創建され、年数としては歴史のまだ浅い二社。しかし、ただ「機運が重なったからだけで生まれたものではない」と、箕西さんは言います。



「山蔭神社も菓祖神社も、“お参りをしたい”という人々の想いや信仰が強く生まれていた。その熱意があったからこそ、お社が創建されたのだと思います。例えば、古ではお山や石などに神性を感じて“お祀りをしたい、信仰をしていきたいんだ”という気持ちが盛り上がってお祀りされていた。こちらから、“新しい神社を作りましたよ、ご利益がありますからお参りください”なんていうのは全くナンセンスな話だと思います。まず、信仰があり人々の想いが必要です。(山蔭神社や菓祖神社のように)相当な想いがないと“形ある神社”として残していけるものではないと思います。」(箕西さん)



料理飲食関係者と菓子業界の方々が待ち望んでいた神社創建。その強い想いから形として生まれた二つの神社は、これからさらに人々の想いを重ねて歴史を深めていきます。

人々の想いを紡ぎ合わせ、“祈り”が歴史を作っていく

【山蔭神社から見える京都の街並み。すぐに隣にある京都大学のキャンパスが見えます。】


神社とは、年月や歴史に関わらず“信仰したい”という人々の強い想いや意識が生まれた先に“目に見える形”となって現れたもの。そして「形として現れたからには、想いは紡いでいかなくてはならない。」と箕西さん。これからさまざまな歴史を刻む二つの神社ですが、きっと何年経っても創建に関わった人々の強い想いは語り継がれていくことでしょう。



これからも人々の祈りや想いが溢れた時、それは神社としてだけでなく“何かの形”となって現れるかもしれません。


現代に繋がる食の楽しみ方を与えてくださった「料理の神様」に感謝をしながら、お酒と食事のマリアージュを楽しんでみてくださいね。