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京都で注目を集める「会館飲み」って何だ!?の噺

京都で注目を集める「会館飲み」って何だ!?の噺

2023,8,4 更新

近年、京都を中心とした関西圏で注目を集めている「会館飲み」をご存じですか?
京都には「〇〇会館」と名のつく、飲食店の集合した建物が60軒ほどもあり、ここでお酒を嗜むのが「会館飲み」と言われています。しかし、京都府外の方からすれば「そもそも会館って何?」「なんでそんなに同じような名前の建物があるの?」と思われるのも当然。そこで今回は、京都の酒場事情に詳しい大学教員・加藤先生に「会館」について詳しくご指南を賜りました。

加藤政洋さん

立命館大学文学部教員。専門は文化地理学、都市研究、沖縄研究。
おもな著書に『大阪―都市の記憶を掘り起こす』(ちくま新書)、『酒場の京都学』(ミネルヴァ書房)、『おいしい京都学―料理屋文化の歴史地理』(ミネルヴァ書房、河角直美氏と共著)など。

会館の誕生。そもそも会館とは?

京都市内でも飲食店の多い木屋町を中心に点在する「会館」。
有名なものとしては「しのぶ会館(裏寺町)」、「四富会館(中京区富小路)」、「折鶴会館(西院)」などがありますが、これらがなぜ「会館」と呼ばれるのでしょうか。

「そもそも会館とは何かという話から始めていきましょう。
“会館”とは、京都に多い酒場の形態です。あえて定義するならば、“町家の内部を分割して複数の飲食店が入居する、〈ひとつ屋根の下〉型の飲食店の集合体であり、1階は比較的入りやすい店が多く、2階にはややディープな敷居の高い店が入る”という特色を挙げることができます。木造建築である町家を転用したものだけを会館とみなす立場を、わたしは『会館原理主義』と呼んでいます。
たかせ会館(中京区紙屋町)

たかせ会館(中京区紙屋町)

千本ロイヤル会館(中京区聚楽廻東町)

千本ロイヤル会館(中京区聚楽廻東町)

町家の内部が分割され、一つ屋根の下に飲食店が軒を連ねる
出典:加藤政洋『酒場の京都学』.ミネルヴァ書房.2020.P.222.(ISBN9784623088027)
他方、“会館”の名を冠していても鉄筋コンクリートであったり、パッサージュ型(通り抜けできる建築)であるなど、町家を転用していないものは、『名ばかり会館』と呼んでいます。いずれの会館も魅力的であることに変わりはありませんが、あくまで本来の意味での会館と区別するために、まずはこう呼ぶことにしましょう。」

何やら原理主義というものものしい言葉が出てきましたが、どうやら会館には明確な定義があるようです。
しかし、なぜ揃いも揃って京都中に同様のスタイルの酒場が誕生し、会館と名付けられているのでしょうか。
 (9496)

「それは京都の人々の集団的な無意識、つまり京都人の気風によるものなのだと私は思っています。
京都に今のような会館が生まれたのは、木屋町界隈。今では記憶にある方も少なくなりましたが、かつての木屋町通は路面電車の走るメインストリートで、並行して流れる高瀬川では高瀬舟によって物資が運搬されていたことから、三条-四条間の東西木屋町は問屋街となっていました。ところが、昭和2(1927)年に新たなメインストリートである河原町が拡幅され、路面電車もそちらへ付け替えられたことで、裏通りとなってしまった。
戦後になると風営法が制定されて、クラブやバー、カフエー(女性が接待するスナックの原型)などが、表通りの河原町通では営業できなくなってしまい、次第に木屋町通沿いへの店舗進出が増えていきました。こうしてできあがったのが、現在の飲食店・歓楽街である通称《木屋町》です。
現在の木屋町通り

現在の木屋町通り

会館分布図

会館分布図

出典:加藤政洋『酒場の京都学』.ミネルヴァ書房.2020.P.224.(ISBN 9784623088027)
アジア太平洋戦争で京都は、空襲に備えて強制疎開(空襲による延焼を防ぐため建物を引き倒して、路面幅を拡張すること)が行われ、京都の街並みはその姿を大きく変えました。
市中の人々にとって、自分達の暮らしを支えてきた家々が崩されていく様をただ見ているというのは、耐えられないつらさだったでしょう。
戦後に経済が立ち直りはじめ、飲食店の需要が高まる中においても、古い町家をスクラップ&ビルドするのではなく、あえて建物を残し、その代わりに内部を細分化して、入居できる店舗の数を増やしたのだと思います。」

「会館」という名前の由来は?

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「実はこれはまだ定かではないのです。これからもはっきりとはしないでしょう。
ただ、戦前から戦後にかけて、大箱のキャバレーやクラブは『〇〇会館』と名をつけることもあり、おそらく現存する会館もこの名前にならったのではないでしょうか。」

会館飲みがなぜ流行る?

会館でのお酒の飲み方に流儀はあるのでしょうか。
また、なぜ近年になって、戦後からあった会館飲みが流行の兆しを見せ始めているのでしょうか。
エリート会館(東山区祇園)

エリート会館(東山区祇園)

「“会館飲み”が文化として認められ始めたのは、ここ10年ほどのことなんです。
それまでは、京都の酒好きにとって会館は当たり前にある酒場の一つでしかなく、あえてそこで飲むことに大きな価値を見出してはいなかったと思います。
実際に私も会館を利用するのは、0.5次会。つまり飲み会前の景気付けにちょっと1杯ひっかける程度の使い方でしたし、会館内の酒場は狭い空間であることが多く、長居は難しかったんですよ。」
 (9507)

ではなぜ今、「会館飲み」にスポットライトが当たるのでしょう。

「これは、京都の酒飲みの文化が変わってきたからだと思いますね。
一つは、大阪を中心とした昼飲み文化などがメディアを通じて京都にも知られてきた点。
もう一つは、若者が酒場の中心になってきた点。
酒場の中心というのは、飲み手も店側も比較的若い世代が多くなったということです。
よく地方の古い商店街に若い経営者がリノベーションして飲食店をはじめると、そこがにわかに注目を集めて、人通りが生まれるということもありますよね。京都では、会館が若い経営者たちの受け皿となったわけです。
しかも、町家や会館のスタンスは、潰すのでなければいくらなぶって(すきなようにして)も構わない、柱や躯体さえ残せば内装は自由にしてよいというものであるため、リノベーションのハードルも低かったんです。
こうした要素がうまく噛み合って、料理修行をした若い世代が、気軽に低コストで居心地の良さにこだわった店を出せて、それに流行に敏感な酒好きが目をつけた。これが“会館飲み”がそれなりに流行している背景だと思います。」
第七小橋会館(東山区常盤町)

第七小橋会館(東山区常盤町)

会館飲みは若者の味方!? 会館飲み文化の魅力とこれから

加藤先生は今の会館飲みの魅力をどう捉えますか? また、これから会館飲みは文化としてどう変化していくと思われますか?

「私は、そこまで得意ではないかもしれないですね、今の会館飲み(笑)。
建築としての魅力や、昔ながらの会館にある古い酒場は相変わらず好きですが、今の新しい会館文化は若者が中心です。あの狭い空間を、感性をフル活用して作り替え、お決まりの酒場料理ではなく創意工夫に富んだ料理やサービスを創造していく。それを十分に楽しめるのはやはり、年代の近い方々だと思いますね。
ただし、その行く末には大いに興味がありますし、応援してもいます。
残念ながら町家である会館建築を、新たに増やすことはできませんし、刻一刻と劣化が進み限界を迎え始めています。その一方で、若者たちは会館だけでなく、京都のあちらこちらにある、路地や古い建築物、一見すると客商売に向かないような場所に目をつけ、新たな酒場、新たな店舗を展開しています。これは、立地創造と呼んでもよいと思うのですが、京都ではそれがしっかりと起こり続けている。
会館飲みはもしかしたら、そんな若者が酒文化を取り戻していく、その過渡期に生まれた文化なのかしれませんね。」
ミキ会館(東山区祇園)

ミキ会館(東山区祇園)

時代の変化の中で変わりゆく会館。だからこそみんなに優しい

最近まで京都の人々も意識していなかった会館飲み。独特のスタイルに名前が与えられたことで、新たにその良さが認識されてきたのでしょう。

今も会館は京都市内で営業を続けています。もちろんその中には何十年と歴史を重ねる渋い居酒屋や、ママさんがエスコートしてくれるスナックも存在します。

年配の方はこれらのお店の懐かしくも温かい雰囲気を味わいに。
若いお酒好きの方は、フレンチやイタリアンの名店で修行した若い店主が手がける、狭いけれど、席についたもの同士が緩くつながることができる名店へ、ぜひ出かけてみてください。
それぞれの思い、年代に応じて優しく迎えてくれる会館で、今宵も一献傾けてみませんか?

次回は、酒噺スタッフが実際に会館飲みを体験してきます。
果たしてどの会館で酒噺が繰り広げられるのか・・・乞うご期待!
   

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