世界に誇る日本酒文化のルーツとなった “お酒の神様”の噺
2018,9,28 更新
10月1日は、「日本酒の日」ということをご存知でしょうか? 10月は採れたての美味しい新米を使った新酒造りが始まる時期。「酒造元旦日」として蔵元からお祝いされていたことから「日本酒の日」が制定されました。そんな今回は、醸造やお酒の神様とされる”松尾大社(まつのおたいしゃ)”の噺。
古来から京都を見守る”松尾大社”
京都駅から電車やバスで30分ほど、京都西部にある桂川の前にご鎮座される松尾大社。701年(大宝元年)に創建された京都の中でも最古の神社の一つであり、御本殿のすぐ後ろには切り立った山肌が見え、神奈備山(神が鎮座する山)である松尾山が悠々とそびえています。
松尾大社のご祭神は、その名の通り偉大なる山の神とされる【大山咋神(おおやまぐいのかみ)】と弁天様としても知られている【市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)】。
大山咋神は、松尾山と比叡山に鎮まる神様で、昔の人々にとって山は神様や魑魅魍魎(“ちみもうりょう”とは、山や川の水の化け物)がいる怖い場所と考えられていました。
そんな山の神様である【大山咋神】がなぜ、お酒の神様と云われるようになったのでしょうか?
今回は松尾大社の神職である西村伴雄(にしむら・ともたか)さんにお話を伺ってまいりました。
松尾大社のご祭神は、その名の通り偉大なる山の神とされる【大山咋神(おおやまぐいのかみ)】と弁天様としても知られている【市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)】。
大山咋神は、松尾山と比叡山に鎮まる神様で、昔の人々にとって山は神様や魑魅魍魎(“ちみもうりょう”とは、山や川の水の化け物)がいる怖い場所と考えられていました。
そんな山の神様である【大山咋神】がなぜ、お酒の神様と云われるようになったのでしょうか?
今回は松尾大社の神職である西村伴雄(にしむら・ともたか)さんにお話を伺ってまいりました。
松尾大社は、 “秦忌寸都理(はたのいみきとり)”が創建した神社とされ、秦一族の総氏神として信仰されました。
この秦一族は、“古来より日本人に親しまれる“お米の神様”の噺“でも紹介した伏見稲荷大社や平安京の創建にも携わったという「技術者集団」として名高い渡来人であり、京都の歴史を語る上では欠かすことの出来ない存在です。
朝鮮半島から日本へ渡ってきた秦一族は、日本各地に分かれて移動しながら、安住の地を求めました。その中で、京都を住処とした一族が大きく西と東に住み分かれて開墾開拓し、東に松尾大社、西に伏見稲荷大社を創建します。
「彼らは宗教一族ではなく技術者の集団です。その地に馴染んで住み着く為にその土地の神様を奉斎して溶け込んでいきました。ですから、住む処に神社を創建し、その地の神様をお祀りして(神社を)大きくしていきます。」(西村さん)
この松尾大社を信仰した東の一族が、秦一族の総本家だったことから「松尾大社は秦一族の総氏神」とされるようになりました。
この秦一族は、“古来より日本人に親しまれる“お米の神様”の噺“でも紹介した伏見稲荷大社や平安京の創建にも携わったという「技術者集団」として名高い渡来人であり、京都の歴史を語る上では欠かすことの出来ない存在です。
朝鮮半島から日本へ渡ってきた秦一族は、日本各地に分かれて移動しながら、安住の地を求めました。その中で、京都を住処とした一族が大きく西と東に住み分かれて開墾開拓し、東に松尾大社、西に伏見稲荷大社を創建します。
「彼らは宗教一族ではなく技術者の集団です。その地に馴染んで住み着く為にその土地の神様を奉斎して溶け込んでいきました。ですから、住む処に神社を創建し、その地の神様をお祀りして(神社を)大きくしていきます。」(西村さん)
この松尾大社を信仰した東の一族が、秦一族の総本家だったことから「松尾大社は秦一族の総氏神」とされるようになりました。
美味しいお酒を作る“お酒の神様”の始まり
【新酒が出来たサインである杉玉】
平安時代、朝廷の役職の中に「神酒司(みきのつかさ)」という御神酒(おみき)を専門に作る役職がありました。
「当時、日本における一つの考え方として、“神様をお祀りすること”、それが第一でした。なので、“政(まつりごと)”=政治というのは、まずは神様をお祀りするということが一番重要な仕事であり、祭典に使うお酒として神様に献上するため、朝廷では、一年中お酒を造っていました。」(西村さん)
その後、貴族から武士の時代へと移り変わり、お酒造りも寺院や民間の酒屋で造られるようになりました。
その中でも、中国で最先端の技術を学んできた僧侶たちが作る「僧坊酒(そうぼうしゅ)」の美味しさが評判となり、寺院の多い京都は非常に優れたお酒造りの一大産地となりました。当時の京都には、「僧坊酒」を作る寺院や民間の造り酒屋は300軒程あり、その職人の多くは秦一族と云われています。
「美味しいお酒を作る秦一族の総氏神が松尾大社なので、いつからか山の神である松尾山の神様が、美味しいお酒造りの神様にもなっていきました。」(西村さん)
さらに関西の酒が珍重され、江戸幕府の貢物としてお酒を送る「樽廻船」や「菱垣(ひがき)廻船」など、全国的な輸送ネットワークが出来上がったことから “美味しいお酒造りの神様”として全国的に有名になっていきました。
「“もの”が流通する時は、それに付随して“信仰”も広がっていきます。“下りもの”として京都などから美味しいお酒とともに“信仰”も広がっていき、江戸時代中期辺りになると全国的に松尾の神様が“お酒の神様”として広まりました。」(西村さん)
美味しいお酒造りを祈願する“上卯祭と中酉祭”
【上卯祭で披露される狂言「福の神」。「松尾大神は日本中の酒奉行」と語り、神酒を捧げることから松尾大神が日本中で酒の神様と認められていることを表している。※写真提供:松尾大社】
【上卯祭で蔵元に配られる「大木札」】
現在まで、お酒の神様として崇敬されている松尾大社では、毎年11月最初の上の卯(う)の日に、醸造安全や豊穣祈願、商売繁盛、家内安全などを祈願する上卯祭(じょううさい)が執り行われています。この日は醸造関係者が数多く集まり、本殿周りの回廊一面に「大木札(だいもくさつ)」という木札が掲げられます。
また、毎年4月の中旬の酉の日には醸造の終了を感謝する中酉祭(ちゅうゆうさい)が執り行われます。これは1673年、幕府が米不足に陥った飢饉対策の為、「四季造り禁止令」を制定。これまで1年を通して作られていた日本酒造りを、醸造に適した冬季の寒造りに限定されることになったのが始まり。
十二支の表記でもある【卯(う)】は日の出の方角の東を表し、【酉(とり)】は日没の方角の西を表します。
「物事の始まりは、卯(東)から始まって酉(西)に終わる 。これは太陽の動きと一緒です。また、神社の伝承の中には、始まりを意味する卯の年に神様が降りてこられたというのが多いんですよ。 」と、西村さん。
日本酒好き必見!日本酒の歴史を学べる「お酒の資料館」
【お酒の資料館※写真提供:松尾大社】
松尾大社には「お酒の資料館」があります。
昔から使われている日本酒の道具や神話時代からの歴史など、お酒に関する展示がたくさんありで、日本酒が出来るまでの行程もわかりやすく解説してくれています。
昔からの展示だけでなく、女性に大人気のスパークリング日本酒など、流行のお酒も紹介されています。
参拝後は、ぜひ日本酒の歴史を学びに資料館も訪れてみてください。
自然のリズムと寄り添い、美味しいお酒を味わう
太陽が東から昇り、西に沈むという普遍を意識することは、古来より人々にとって心地よいリズムを生み出すのだと西村さんのお話しがありました。
ふとこのリズムを忘れてしまいそうになる目まぐるしい現代。ぜひ、神様からの贈り物であるお酒を楽しみながら、秋の夜長をじっくり味わってみてはいかがでしょうか。
ふとこのリズムを忘れてしまいそうになる目まぐるしい現代。ぜひ、神様からの贈り物であるお酒を楽しみながら、秋の夜長をじっくり味わってみてはいかがでしょうか。