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秋に円熟する日本酒「秋あがり」と灘の名水の噺

秋に円熟する日本酒「秋あがり」と灘の名水の噺

日本酒といえば寒造り、つまり冬の寒い時期に仕込み始めて春先に出来上がるのが最も美味しいとされています。しかし、秋を迎えたこの時期にグッと円熟して美味しくなるお酒もあるんです。「秋あがり」と呼ばれるこの日本酒は、冬に仕込み、夏前に出来上がったお酒を一度火入れし、夏の間涼しい蔵の中で熟成させたもの。秋になってその程よくカドが取れて柔らかく、旨みの乗った味わいは、ぜひ一度飲んでいただきたい逸品です。そして、この季節だけの特別な日本酒を造るための大きな要素のひとつが、仕込み水。兵庫県の酒どころ“灘”には、全国に知られる名水があると聞き、その取水地を訪れました。

灘の名水「宮水」って?

兵庫県南東部にある灘は、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の五郷からなる室町時代から続く日本酒の一大生産地で、通称「灘五郷」と呼ばれています。
日本酒に適した良質な米と、豊かな水源に恵まれ、さらに六甲おろしの冷たい風がもたらす酒造りに最適な気候によって、室町時代より多くの酒蔵がこの地に生まれました。
その後、江戸時代後期になって灘の酒は大きな転換期を迎えます。
それが、今回訪れた「宮水」の発見です。

今回はこの宮水を訪ねる前に、宮水保存調査会副会長の家村芳次(いえむら・よしつぐ)さんの元を訪れ、その歴史や特徴について伺いました。

家村さんは、京都伏見の出身。大学卒業後、灘の酒造メーカーを経て独立行政法人酒類総合研究所の理事長を勤め上げた、日本酒のプロフェッショナルです。

「日本酒造りには米や麹が必要なのですが、もっとも大切なのは清浄で良質な大量の水なんです」と、話を切り出す家村さん。
「仕込水はもちろん、出荷前に味を調整するための割水、洗米や浸漬、酒瓶や容器を洗うのにも清浄な水は欠かせません。米や麹は他から運ぶことができますし、杜氏や蔵人も遠方から呼び寄せることができます。しかし酒造に必要となる大量の水は運ぶことができません。全国の酒処と呼ばれる場所には必ずと言っていいほど、良質な水が採取できる井戸があります。灘五郷も現在は宮水が特に有名になっていますが、地下にはいくつもの水脈があり、それぞれの郷に取水地が分布しています」

「宮水は、その名の通り灘五郷のうち西宮郷で採れる地下水のことです。これを発見したのは、酒造家である山邑太左衛門(やまむら・たざえもん)という方で1840年のことです。この方は、西宮郷以外にも魚崎郷などに酒蔵をもっていたんですね。彼はある時、同じ米や麹を使って同じように造っているのに、西宮郷の酒だけがずっと美味しいことに気がついたのです。そこで、その原因を徹底的に調べたところ、水が違いを生んでいることがわかりました。この水のおかげで、灘の酒は関西だけでなく江戸でも大変な評判を呼び、そのほかの蔵も宮水を仕込水に使うようになったんです」(家村さん)

3本の地下水脈が生み出した奇跡の水

宮水が発見されたのは江戸時代、灘五郷ではそれ以前の室町時代より酒造が盛んに行われていました。これだけ水に恵まれた地域で、各地に名水が湧き出ていたのに、その中でどうして宮水だけが他の水と比べて、灘の酒を特に美味しくできたのでしょうか。

そう伺うと、家村さんは西宮郷の地図を取り出してその謎解きをしてくださいました。「日本の地下水には軟水が多いのですが、宮水はミネラルを多く含む中硬水なんです。しかも、含まれるミネラルには、酵母の発酵を助けるカルシウムや、カリウム、リン、クロールイオンが多く、その一方で、酒を劣化させてしまう鉄分はほとんど含まれていないのです」

「この水がどうして西宮郷でのみ採取されるのか。それはこの場所の地形が重要です。六甲山と宮水の採れる地域の間にはかつて「津門の入海」(つとのいりうみ)という入江があり、ここから法安寺伏流や札場筋伏流という伏流水(地下水脈)が流れてきます。このふたつは、昔は入り江だったこの地のミネラルをたっぷり含んでいますが、残念ながら鉄分も少し含まれます。しかし、そこに西から酸素が多量に溶け込んでいる戎伏流水が流れ込むと、水中の鉄が酸化して沈殿ろ過されてしまうため、水の中に残らないのです。この3つの水脈が奇跡的に出会ったのが西宮郷。ほかの取水地と決定的に水質が違うのはこういった理由なのです」

荒々しい男酒が柔らかく変身

「中硬水を使って仕込んだもろみは先述したミネラルなどの影響で短期もろみとなり、軟水と比べ約2/3程度の短い日数で発酵するのが特徴で、出来上がる酒はやや酸味があり荒削りな味わいとなります」と家村さん。

確かに灘の日本酒は「男酒」と呼ばれ、新酒のうちはやや荒々しく、押し味(余韻)があり、しっかりした味わいとキレが特徴です。
ただ、中にはこのあたりの強さが苦手という人も。

すると、家村さんは笑って「男酒は、燗酒に向いていますからね。温めても香りがおだやかで、旨味が増すのが特徴です。最近は、冷酒がブームですから、軟水のお酒が好まれるのもわかります。ただそういう方にこそ、この時期の“秋あがり”を飲んでいただきたいですね。一度火を入れて夏を越した日本酒は丸みが出て非常に飲みやすくなります。これは燗でも冷やでも、実に美味しいんですよ」

家村さんは続けて「日本酒には産地によって色々な個性と特徴のある商品がありますから、どれを好むかはその人次第。ただ、私たちはこの地域の特徴ある酒を造り出す宮水を、これからも守っていくために、西宮市をはじめ行政や地域社会とともに宮水保存調査会の活動を続けています。灘地域の土地開発の際には必ず、地下工事に際して「地下水の流れを止める工事でないか」、「地下水をむやみに汲み上げる工事でないか」、「地下水を汚す工事でないか」等、厳密に事前のチェックを行っているんです」と話してくださいました。

いざ、宮水取水地へ

家村さんのお話を聞いた後に向かったのは宮水の取水地。
その中心にあるのが、宮水発祥の地。現在はポンプでくみ上げていますが、なおこんこんと水が湧き出ています。

宮水発祥の地周辺は、一見すると普通の住宅街なのですが、街を歩いていると突如として、大小様々な酒造メーカーの取水地が現れます。

宝酒造の製造工場である「白壁蔵」の取水地もそのひとつ。白い玉砂利を敷き詰めきれいに整備された地面に埋設されたタンクを覗くと見えるのは、どこまでも澄み切った宮水。これが仕込み水となって日本酒になると思うと、感慨深いものがあります。

日本酒の出来を確かめる白壁蔵の杜氏

地域に湧き出る水によって、様々に味や香りの異なる日本酒。
宮水だけでなく、他の地域でも水源を守る活動は行われているのでしょう。しかし、日本国内では日本酒の消費量は低下していると言われています。

このことについて、家村さんはこうおっしゃっていました。
「私は、日本酒の未来について心配はしていません。実際に日本酒の消費量は減っているかもしれませんが、日本酒を購入する費用はそれほど減っていないんです。これは、吟醸・大吟醸などの米を磨いた高級な酒や『秋あがり』のような特徴ある酒を楽しむ層が増えたからでしょう。日本酒そのものの認知が上がり、選択肢が増えたことで日本酒文化はさらに評価されていくと考えられます。
また、和食が世界に広がっていく中で、今後日本酒に対する世界の理解も深まっていくでしょう。ゆくゆくは世界各地で酒造りが始まるかもしれません。そうなったとしても“日本の米”と“日本の水”を使った日本の酒は最高の評価を受け続けると私は思っています。そのためには、宮水をはじめ各地の水源や日本酒の文化・技術を守り続けていくことが大切。私も、この灘でしかできない地域色溢れる宮水の酒を残していきたいですからね」

江戸時代から現代まで地域に守られ、日本各地で愛されてきた日本酒。
今回取材した灘のお酒はメジャーな銘柄ですが、その美味しさがひときわ際立つこの季節、限定の「秋あがり」の酒の盃を一献傾けて、奇跡の水「宮水」が生んだ美味しさを改めて感じてみては?
また、みなさんの地域にある地元の水を使ったお酒を楽しんでみるのも良いかもしれません。地域の独自性を愛し、水を守り、大切に使っていく日本のお酒の美味しさを、再認識できるかもしれませんよ。

取材協力/宮水保存調査会


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